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本能寺の変は”視力”が原因だった!?

本日6月2日は明智光秀によって織田信長が討たれた『本能寺の変』があった日です。日本史上最大の裏切り劇として有名な本能寺の変。朝廷による陰謀説、徳川家康陰謀説、豊臣秀吉陰謀説などありますが、果たして真相はどうなのでしょうか?

説の一つである明智光秀が織田信長を恨んでいた説、この説を裏づけするものとして”視力”が関係していることをご存知でしょうか?

明智光秀は近視だった?

織田信長の家臣であった明智光秀。美濃の斎藤道三の仕えた後、越前の朝倉義景に仕えるなど、信長に仕えるまでは転々としていました。一説によると、信長の正妻である濃姫(斎藤道三の娘)の従兄弟だったことから信長に仕えるようになったと言われています。

光秀は和歌や茶の湯などの当時の文化に詳しく、同時に鉄砲の名手だったと言われ、信長と朝廷との橋渡し役を行ったと言われています。豊臣秀吉などの農民から出世するなど、実力主義であった織田家臣団において教養と武芸を兼ね備えた重臣でした。

ところが、光秀には信長に酷い仕打ちをされた話も残ります。信長とも面識のあったキリスト教宣教師のルイス・フロイスの書き残したものには「信長が光秀を足蹴にした」とあります。いわゆる信長と光秀の不仲説ですが、光秀が近視であり、信長の表情の変化による対応ができなかったからだと言われています

光秀の肖像画は細目で描かれており、これは近視のため眼を細めるクセが光秀にあったからだと言われています。光秀がなぜ信長を裏切ったのか、正確な根拠がなく、いくつもの説がありますが、もしかしたら光秀の近視が関係していたのかもしれません。

信長も眼が悪かったかも?

ところで、裏切りにあった信長ですが、信長自身も眼が悪かったかもしれません。信長は”飲水病”があったと記述があり、これは現代の糖尿病のことを指します。

糖尿病は眼に影響することが多い病気で、糖尿病由来の眼病には『糖尿病網膜症』や『白内障』などがあります。TVドラマや小説では短気で苛烈な印象の信長ですが、糖尿病が原因の性格だったとする説があります。

また、酒は飲まず甘いもの好きだったと言われ、糖尿病であった説を後押ししています。以外にも日本初のハーブ園は信長が造っていたりします。

もし信長が糖尿病網膜症や白内障を患っていたとしたら、視力が低下していた可能性は十分にあります。

メガネがあれば歴史は変わっていた?

日本の歴史にメガネが初登場するのは1551年。本能寺の変の31年前です。これは宣教師によってもたらされたもので日本製のメガネではありません。日本でメガネ作りが行われるのは江戸時代になってからのこと。

 

もしも光秀がメガネを持つことができていれば、信長との関係ももっと良くなっていたかもしれません。

HutPRESS編集部

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